WEBVTT

00:00:00.000 --> 00:00:09.000
昭和5年のキートの生産量は全国一位。工場の数の多さでも全国で群を抜いていることが分かります。

00:00:10.000 --> 00:00:19.000
戦死に必要な技術者や経営者により、明治大正昭和と日本有数の三四王国と称された長野県。

00:00:20.000 --> 00:00:28.000
昭和5年のキートの生産量は全国一位。工場の数の多さでも全国で群を抜いていることが分かります。

00:00:29.000 --> 00:00:43.000
戦死に必要な豊富な水や燃料となる木材、乾燥した気候、また地元金融機関のバックアップや優れた指導者が得たことなど、多くの条件に恵まれていた長野県。

00:00:44.000 --> 00:00:53.000
そして何より、この地で生き抜くため先人たちの惜しみない努力により生まれ、発展したのが長野県の製糸業です。

00:00:59.000 --> 00:01:06.000
まずは汚れた眉や穴の開いた眉、2匹のさなぎがいる玉眉などを取り除きます。

00:01:07.000 --> 00:01:11.000
続いて眉を煮て糸を引き出しやすくします。

00:01:14.000 --> 00:01:19.000
眉の表面を稲の穂先でこすって糸口を見出します。

00:01:20.000 --> 00:01:25.000
そして眉糸を数本集めて1本の木糸として巻き取ります。

00:01:30.000 --> 00:01:34.000
扱いやすくするよう、それを大枠に巻き返します。

00:01:37.000 --> 00:01:43.000
枠から外された木糸をカセといい、これを束ねてカツとして出荷します。

00:01:50.000 --> 00:01:54.000
室町から江戸時代にかけては手引きという方法で、

00:01:55.000 --> 00:01:58.000
胴繰りや牛首という道具が使われました。

00:01:59.000 --> 00:02:04.000
江戸時代末期からは座繰りと呼ばれる簡単な機械が使われるようになります。

00:02:05.000 --> 00:02:10.000
明治初年には海外の優れた機械や技術が輸入されますが、

00:02:11.000 --> 00:02:16.000
岡屋の製糸工場はこの2つの長所を生かした巣瓦式装飾を考え、

00:02:16.000 --> 00:02:22.000
これが全国へ普及します。その後多乗装飾としてさらに改良されます。

00:02:23.000 --> 00:02:27.000
大正時代になると製糸業は繁栄を極めます。

00:02:28.000 --> 00:02:35.000
眉剪定制度が導入され、県内には眉剪定所が全国で最も多い4カ所に設けられました。

00:02:36.000 --> 00:02:40.000
昭和30年には自動装飾が考案されます。

00:02:40.000 --> 00:02:43.000
こうした製糸業の繁栄発展の裏には、

00:02:44.000 --> 00:02:51.000
岡屋の片倉陰太郎や優秀な産種の普及や製糸機械の導入に功績のあった二枚御助ら、

00:02:52.000 --> 00:02:56.000
優れた指導者の存在を忘れることはできません。

00:03:00.000 --> 00:03:04.000
民間主導で新たな発想で発展してきた製糸の技術を

00:03:04.000 --> 00:03:11.000
現代に受け継がれ、新製品の開発、新分野への進出など地域の挑戦は続いています。

00:03:34.000 --> 00:03:36.000
ご視聴ありがとうございました。

